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上田雅利 (チューリップ) アーティスト写真

上田雅利 (チューリップ)

初めてライブハウスのステージに立った時のお気持ちなど


僕が音楽を始めた頃に、ライブハウス等ありませんでした。五十年以上前の話ですから。福岡はアマチュア活動が盛んで、サークルも出来てて。毎土日は市民会館近くの須崎公園に、来れるバンドが集まって、順番に楽しく演ってました。夏は能古島のキャンプ場。海の家にステージを作り。観客は出番待つ出演者と、出番を終えた出演者でいつも大賑わいでした。年に数回、サークルで市民会館の小ホールを借りて、半日ぶっ続けでやってました。僕はステージ後ろで、半分以上のバンドのドラムを叩いてましたし、ひとり弾き語りでも、出てました。
その流れを上手く引き込んだのが、喫茶照和でした。
三つの民放もアマチュア対象のホールコンサートや、生放送番組や収録番組をやってくれてて、やる気と練習さえ積めば幾らでも、発表の場が用意されてた。今思えば、実におおらかに音楽を楽しめるいい時代でした。初人前は、高校二年。ラジオの公開生放送での弾き語り、と記憶しています。

コロナ禍でライブが体感できない音楽ファンへ、またライブハウスや音楽関係者へのメッセージなど


去年から何本ステージが飛んだことか!
自宅での日々。三日に一度は自室で、ビートルズ30~60曲を思いっきり、叩き歌ってます(笑)!世の中の歯車が、ちゃんと機能し出す事を信じて。

for RUIDO

僕がチューリップでデビューした1972年は、ルイード誕生の年と重なります。
おそらく、その年から新宿ルイードに出演させて貰ってたと記憶しています。

暫くホールが多い時代もあり、間は空きましたが、延べ49年もの長い付き合い。
ルイードが、日本のエンターテイメントシーンに果たしてきた、歴史的役割、存在感は半端ではないはず。

僕らがそうであった様に、数多くのアーティストを育み、幾度となく世に送り出して来た実績。
常に移り行く時代への対応力は、脈々と受け継がれたスタッフの、優秀・有能・勤勉・謙虚さが、信頼の柱となっているからだと思います。

各種ユニットでお世話になった、原宿ルイード・渋谷ルイードK2・新宿ルイードK4。其々での、エピソードの数々をステージ充実を挙げればキリが無い程に、思い出深い器ばかり。
そして今尚、僕のソロツアーを支え続けて頂いているのが、大阪ルイード☆
全世界大戦の如き、理不尽極まりない新型コロナとの戦いにも、やっと終息な出口が見え始めて来ています。傷を負っても仮死状態ならば、魂死んでなければ必ず。復活の烽があがるはず!
沢山の恩に、精一杯のお恩返しをするつもりです。

上田雅利 (チューリップ)
https://masatoshi-ueda.com

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