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鮎川誠 (シーナ&ロケッツ) アーティスト写真

鮎川誠 (シーナ&ロケッツ)

初めてライブハウスのステージに立った時のお気持ちなど


ライブハウスという呼び名が一般的になるその前に、エレキでギンギン・ガンガンやるロックバンドが演奏できるのは、60年代後半から70年代はまだ『ダンスホール』と呼ばれる場所でした。
それは今のライブハウスと違って、箱バンドという呼び方があったんですが、ダンスホールに所属するバンドという形で1ヶ月とか3ヶ月とか6ヶ月とか毎日続けて出演するような場所でした。
僕たち高校生はダンスホールに行ったらいけない、行ったら不良の溜まり場と目をつけられる、という、当時はそんな時代でしたけれども、地方のバンドにとっては、その町のダンスホールに出られる、演奏するというのは、夢見るほど憧れの出来事であり、最初は自分もこっそり聞きに行ってたんですが、チャンスがきて自分が演奏できる、その時の気持ちというのは、その瞬間だけは自分が大好きなローリングストーンズやビートルズに繋がっているような、とても嬉しくて誇らしくて、自分の中でクスクス笑いが出そうなほど本当にステージで演奏できる喜びというのを味わわせてもらいました。
そこで自分の得意の曲を演奏するというのは、お客さんに向けるというよりも、こっそり横で見ている対バンの視線などを感じながら、とても高揚するものです。そういう経験が自分の音楽を高めてくれるというか、目標がすごくできることだと思います。それは50年後の今のライブハウスにも繋がっていると僕は思っています。
音楽が好きな者、演奏することが好きな者にとってはライブハウスは憧れの場所であり、それは今も昔も変わりありません。

コロナ禍でライブが体感できない音楽ファンへ、またライブハウスや音楽関係者へのメッセージなど


もう2年目に入りましたけども、このコロナという得体の知れなかった病気が世界中に広がって、音楽業界、音楽好きな人たちはもう大打撃を受けました。
「コロナが終息するまでは」というみんな一つの思いで自粛やステイホーム………本当に大変な思いです。
音楽が好きな心が先にある人たちが、本当に音楽を愛する人達が、純粋に集まる場所、そういう場所でライブができないということはバンドも音楽ファンもとても辛い気持ちです。
なおかつ、そうやってチャンスも失われて、みんなが今必死にがんばっているわけですが、本当にこればっかりはどうしょうもないことですね・・・。

これで音楽を嫌いになったりしたら、僕はとても悲しいです。
本当に、音楽をずっと好きでいてね、という気持ちです。
みんな今は本当に耐え忍ばなければいけないことが多いけれども、ずっとロックを好きでいましょう。

for RUIDO

シーナ&ロケッツは70年代の終わりに東京に出て行って、チャンスを勝ち得てデビューしたんですが、最初新宿ロフトや渋谷の屋根裏や荻窪ロフト、下北沢ロフト、そういう場所でやれることが本当に嬉しかった。
ルイードというライブハウスはもちろん知っていて、そこに出られるというのはすごくハードルが高いというイメージを持っていました。
80年代に入って、九州から『めんたいロック』と呼ばれるバンドがたくさんデビューして、そういうブームのお陰もあって、僕たちも念願のルイードに出た時のことはとてもよく覚えています。
ルイードはやっぱり、なんというか、選ばれたバンドしか出られないライブハウスというイメージがあったので、そこで演奏できたことはとても喜びがありました。
新宿のルイードやったんですけど、ステージもカッコよかったし、とても広かったことを覚えてます。

鮎川誠 (シーナ&ロケッツ)
http://www.rokkets.com

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