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鈴木雅之 アーティスト写真

鈴木雅之

初めてライブハウスのステージに立った時のお気持ちなど


1977年 21歳の時、スネークマンショーのプロデューサーでもあった桑原茂一さんに頼まれて、ピラニア軍団としても知られていた俳優の川谷拓三さんのBirthdayライヴのバックバンドを務めたときがありました。その時のライヴハウスがあの新宿ルイードでした。
その後、縁あってレコード会社のスタッフから新宿ルイードで週末にライヴ出演して腕を磨いてみないかという話が舞い込んできます。
拓三さんのライヴの時、たかがアマチュアの若者だった俺たちに優しく接してくれた山口さん(当時のルイードの社長)のことを思い出して、あのライヴハウスだったら是非やらせて欲しいとお願いしました。最初のうちは身内が盛り上げてくれたり、ドゥーワッブ好きなコアなファンが2~30人くらい集まるといった素朴なライヴでした。それが毎週週末、カワノビルの前にアメ車で乗り付け、ライヴには人が人を呼び、大瀧詠一さんや山下達郎さんを始めルイードでのシャネルズのステージは業界人にも注目されるようになっていったわけです。
1980年にデビューする頃には、シャネルズのホームグランドとして新宿ルイードもライヴハウスの人気は全国区になっていきました。自分達のルーツを語る上で忘れられないライヴハウス。それが新宿ルイードでした。

コロナ禍でライブが体感できない音楽ファンへ、またライブハウスや音楽関係者へのメッセージなど


昨年のツアーが延期となり、それに代わる配信ライヴなど新たなチャレンジも沢山してきましたが、“生ライヴが観たい” との声もたくさんファンの皆さんから届きました。
そして、ガイダンスに則りソーシャルディスタンス、安全対策をしっかり守ってライヴを開催しています。声援もできない中、それでも会場の拍手だけでも気持ちが伝わって、心の中で一緒に歌って笑顔になっていく姿に僕自身もとても感動して、新しい時代の新たなルールでも十分楽しめるんだということを、皆さんと一緒に証明できているのではないかと思っています。
今だからこそ、僕も含めた音楽に携わる者たちが一丸となって、この困難を乗り越えていけたらと切に願いライヴを続けています。
「音楽は心のワクチン」
こんな時だからこそ、音楽は、そしてライヴは人の気持ちを豊かにできる、前を向いて進むことができる特効薬だと信じています。

for RUIDO

1970年代の後半から新宿ルイードのステージに立ち、1980年にプロデビューしてからもルイードに出演させてもらいました。当時の観客動員記録を作ったり、国内海外のミュージシャンも我々のステージに飛び入りしてくれたり、その中でも、1979年12月クリスマスライヴに大瀧詠一さんがゲストでサンタクロースの格好をして飛び入り参加してくれたなど、思い出は星の数ほどあります‼
そんな老舗と呼ばれた新宿ルイードが1987年クローズになるんですが、その最後のステージを飾らせて頂いたのも我々ラッツ&スターでした。
ルイードで培った色々な経験が、今も鈴木雅之のライヴで大いに活かされていると実感しています。
ルイードはまさに我々にとってもホームグランドと呼べるライヴハウスでした。
ありがとう‼ ルイード フォーエバー♫

鈴木雅之
https://www.martin.jp

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